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今回はNHKで放送された太平洋戦争80年・特集ドラマ「倫敦ノ山本五十六」についてお伝えしたいと思います。
「山本五十六」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?有名なところでは、1941年12月8日の真珠湾攻撃の立案者とされています。ですが、今回のドラマでその真珠湾が語られることはありません。このドラマは、1941年から遡ること7年、1934年の第二次ロンドン海軍軍縮会議の予備交渉のお話しになります。山本閣下はこの会議に海軍側首席代表として参加され、イギリス・アメリカ相手に堂々たる外交を繰り広げられました。さて、その交渉結果やいかに?
今回の記事では…
・ドラマ概要
・山本五十六って何者?
・ロンドン海軍軍縮会議って何?
・ドラマのあらすじ
についてお伝えしたいと思います。
目次
見出し ドラマ概要
放映日:2021年12月30日(木)22時から23時13分
放送局:NHK
ジャンル:歴史(かなり骨太です。「大河」かと思うほどです。)
NHK公式:https://www.nhk.jp/p/ts/18JMJ8GR29/
見出し 山本五十六って何者?
画像出典:『ウィキペディア』「山本五十六」閲覧日2021年12月31日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD
人物概要
氏名:山本五十六(やまもといそろく)旧姓:高野
生誕:1884年4月4日
新潟県古志郡長岡本町(現:長岡市)
死没:ソロモン諸島ブーゲンビル島(戦没)
所属:大日本帝国海軍
最終階級:元帥海軍大将
簡単に説明
1941年にはじまった太平洋戦争当時、日本の海軍において「連合艦隊司令長官」という役職にあった人物です。早くから航空機の重要性に気付き、日本の海軍に積極的に取り入れた方です。また、アメリカでの滞在経験もあったことから、アメリカの国内事情もよく知っており、日本がアメリカと戦争をすると勝てないと考えてらっしゃった人物でもあります。
略歴
1884:旧越後長岡藩士・高野貞吉の六男として生まれる。父親の年齢が56歳だったことから「五十六」と名付けられる。
長岡町立坂之上尋常小学校卒
旧制新潟県立長岡中学校卒
1901:海軍兵学校入校、同期に堀悌吉、嶋田繁太郎などがいる。
1904:海軍兵学校卒業
1905:装甲巡洋艦「日新」配属となり、日本海海戦に参加。この海戦において、左手人差し指、胴中指を欠損、左大腿部に重傷を負う。
1909:アメリカに駐在
1911:海軍大学校乙種卒、海軍砲術学校と海軍経理学校の教官となる。
1913:海軍大学校入学
同年:旧長岡藩家老の山本家を相続する。
1916:海軍大学校卒、腸チフス疾患
1919:ハーバード大学に留学
1921:帰国
1925:駐米大使館付武官
1929:倫敦軍縮会議に次席随員として参加。
1934:第二次倫敦軍縮会議予備交渉の海軍側主席代表として参加。←今回のドラマはここ
1936:日独伊防共協定締結
1937:盧溝橋事件発生、日中戦争へと拡大。
1939:ノモンハン事件、独ソ不可侵条約締結
同年:第26代連合艦隊司令長官就任
1941:日米開戦
1943:海軍甲号事件、戦没
ロンドン海軍軍縮会議って何?
当時の国際情勢
第一次世界大戦は、人類が初めて経験した「国家総力戦」でした。これまでの戦争の形態との大きな違いは、持久的な戦いになったことです。これまでの戦争では、主力軍同士が戦闘をし決着を付けることで、次の停戦・講和というフェーズに移行できていました。しかし、主力軍同士が何度もぶつかっても決着がつかない、あるいは何度もぶつかるという形態になってきました。
これは皮肉にも人類の技術の進歩による戦争の変化によるものです。例えば機関銃と野戦要塞の進歩は、防御側に優勢をもたらし、その結果は自然と持久戦争になります。攻撃側はこの打開のため人員・物資の輸送を絶つための作戦をとるようになります。そうすると、これまで「前線」「銃後」と分かれていた戦場が、全て攻撃の対象となります。
そのような戦争の変化から第一次世界大戦では、これまで想定していなかったような莫大な予算が必要となり、なおかつ甚大な被害が出るようになったのです。
この経験から、戦争での敗北=焦土という概念が生まれ、国家は戦争で負けることができなくなりました。そうすると、次の戦争に備えるために軍備拡張をしていかなければなりません。しかし、国家予算を軍備に無限に使えるわけでもありません。この軍拡競争に歯止めをかけるためにも「軍備縮小」が必要になってきていたのです。
ロンドンの前にワシントンでも軍縮会議がありました。
ドラマの中でも何度か出てくる、ワシントン海軍軍縮条約というものがあります。アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの5カ国で締結された条約で、ワシントンで会議が行われたことからワシントン海軍軍縮条約と言われています。
その内容をざっくり言うと、海軍の保有艦船の総排水量比率を
米英:日:仏伊=5:3:1.75
と定めました。
日本は対米6割ということになります。これが不平等であるという論拠です。
第一次ロンドン海軍軍縮会議もありました。
ドラマで語られるのは第二次ロンドン海軍軍縮会議の予備交渉です。ですので第一次にあたるロンドン海軍軍縮会議もありました。1930年のことです。参各国はワシントンの時と同じく、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの5カ国です。
ワシントン海軍軍縮条約では、実は巡洋艦以下の補助艦については、建造数に制限がかかっていませんでした。ですからこのロンドン海軍軍縮会議では、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦等の補助艦についても上限を取り決めようというものでした。
この会議で日本は希望量を達成することができす、世論ではマスコミの批判、政府では「統帥権干犯問題」などがあり、国内は揺れることとなります。
で山本閣下の出番です。
第二次ロンドン海軍軍縮会議は、第一次にあたるロンドン海軍軍縮条約の改正のために開かれた国際会議です。その予備交渉にいよいよ山本閣下が出陣します。
参考『ウィキペディア』
・「国家総力戦」閲覧日2021年12月31日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%B7%8F%E5%8A%9B%E6%88%A6
・「ワシントン海軍軍縮条約」閲覧日2021年12月31日
・「ロンドン海軍軍縮会議」閲覧日2021年12月31日
・「第二次ロンドン海軍軍縮会議」閲覧日2021年12月31日
ドラマあらすじ
終戦後、富岡定俊(高良健吾)が海軍の文書を探しているところから本編ははじまります。
プロローグ
その中で「倫敦会議」の文書を手に取って。
「この軍縮交渉の結果が…、海軍の失敗のはじまりなのだ。」
山本、堀と激論せり。
時代は遡り、昭和9年7月。
激論する山本五十六(香取慎吾)と堀悌吉(片岡愛之助)。
堀「一番国力の劣る日本にとって、軍縮条約はありがたいんだ。」
山本「お得意の非戦論か?」
堀「山本!軍の本来の目的は可能な限り戦争を避けることだッ。」
山本「不平等な軍縮条約を押し付けられて海軍の誇りは損なわれッぱなしだ。」
堀「戦争をしないことこそが誇りだ。」
山本「その言動は危ういゾ」
堀「アメリカを仮想敵国として軍備を進めたらどうなる?軍縮条約があれば、その途方もなく豊かなアメリカ戦力が条約の枠内に収めておけるんだ。明らかにこちらに利のあることじゃないか。」
高橋もの申す。
高橋是清(山本學)
「そもそも国防なんてのは字の如く国を守れればそれでいいんだよ。国家のための軍であって、軍のための国家じゃナイんだ。」
秘書「今、軍に物申せる政治家は高橋先生以外にいません。」
高橋は、1936年の2・26事件で暗殺されることになる。
海軍省にて下命せらる。
山本にロンドン海軍軍縮会議予備交渉への参加が下命される。渋る山本。
「山本君…期待してるよ。」
海軍としては条約破棄が目的である、であれば交渉にハナから期待などしていないのである。
堀が言う。軍縮破棄が目的の海軍は、決裂が前提の交渉でフリだけする。これは猿知恵に過ぎないと。
堀「俺たちは本物の戦場をこの目で見た。あの悲惨な光景は二度と繰り返してはいかんのだ!!」
返す山本。
山本「海軍の誇りと軍縮、どちらも守るんだ。アメリカとイギリスに譲歩させるんだ。アメリカと戦争になれば日本は必ず負ける。」
山本、渡英せり。
山本は、決意を胸にロンドンへ。
松平恒雄(國村隼)が聞く、「どこをめざして交渉するつもりだ?」
答える山本「条件を見直して、条約を締結することを目指します。」
それは海軍の意向とは異なるものであった。
10月23日予備交渉開始。冒頭に山本が述べる。
山本「主力艦比率5対5対3は、我が国として断固拒否するものである。それに代わり3国の海軍戦力の最大限総トン数を定め、その際限の中でそれぞれが自由に戦力を整備することを提案したい。これは国家の威信の問題である。我々が求めているのは、あくまで各国間の平等である。」
山本(英語で)「皆さんは、私に5分の3しか食うなとは言わないでしょう?」
イギリスは対応は柔軟であったが、アメリカの対応は厳しい。
「我々を敵国と想定しているのか?」
松平に決意を告げる山本。
山本「松平さん、時間をかけて粘り強くやっていきますよ。軍縮会議は武器を使わない戦争ですから。」
しかし、予備交渉は平行線を辿り、妥協点が見出せないでいた。
一方、日本国内での山本の報道は、列国と堂々と交渉していると報じられている。一人の英雄の誕生である。
会議も煮詰まってきた頃、日英交渉にて、イギリス側が提案をしてくる。イギリス曰く、日本もアメリカも強固な案しかない、よってより柔軟な案を提案したい。
「それぞれの国がどのくらい海軍力を増強するのか、事前に宣言してはどうでしょう?」
イギリスは日本と友好にいたいが、アメリカはそうではない。ならば、イギリスの提案に乗り、それにアメリカを巻き込むことを画策する。
試案通らず。
山本が試案したものを、会議に提案するという。それは、具体的な制限トン数が書かれた試案であり、海軍の望むものではなかった。
試案を読んで詰め寄る岡新(市原隼人)。
山本「軍縮条約体制は継続する。それはいいことだ・・・。」
岡「それは海軍の方針とは違いますッ!!」
ひりつく場。
山本「今、この場合、交渉を続け英米との関係を保つ方が賢い選択なんだよ。」
・・・日本本国からの返答は、却下であった。
予備交渉、決裂せり
会議の場での苦渋の山本。「私の案は、本国の認可を得られませんでした。今日ここで提案出来ることは、何もありません。」
ここに予備交渉は決裂した。山本が守ろうとした「誇り」と「平和」。こぼれ落ちてしまった、重い現実がのしかかる。
12月19日予備交渉休会宣言。制限のない軍備拡大の時代がやってくる。
1935年2月12日、山本帰国。
出迎えた国民は、熱狂し万歳を叫ぶ。アメリカ・イギリスから戦力比率の撤廃を勝ち取った英雄として迎えられる山本。
「ワシントン・ロンドン条約破棄実現ばんざーいっ!」
会議の最中に、堀は予備役にされていた。
軍も国民も成功と思った軍縮会議。本当の意味での失敗を知っていた山本。
山本「なぁ堀、なんで日本人はこうなんだろうなぁ…。俺は誇りと平和を両立できなかった。」
エピローグ 富岡、語る。
戦後に返って。
「今考えると、おそらく山本さんはずっと悔やみ続けていたんだ。」
「この予備交渉が大きなチャンスだったのかもしれない。」
「我々は失敗した。海軍の誇りだった艦隊を沈められ、守るべき大勢の国民を死なせ、国中を焼け野原にした。多くの日本人が、強い日本と自分自身をいっしょくたにして、大局的に物事を観ることができなかった。我々は大きな流れに身を任せて、とうとうこんな処まで来てしまった。その失敗を遡るとロンドンに行きつく。私にはそう思えてならんのだ。」
今回は以上になります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。